この夏オススメの一冊!




〜 『測字秘考』の巻頭ページから、抜粋 〜



『測字秘考』発刊によせて

山内久司


小学生の時、吉川英治の 『三国志』を読みふけった。

千里草何青青     千里の草何ぞ青青たる
十日下猶不生     十日の下なお生きず


董卓という暴君が呂布という武将に殺される前夜に、風に乗って、どこからともなく聞こえてくる童歌である。

「千里の草は何と青々と茂っているではないか、しかし十日もたたないで枯れてしまう」
「千里草」は「董」の字を分解したもの、「十日下」はあわせると「卓」 の字になる。
董卓の運命の尽きたことを示しているのである。

翌日、帝の位を奪うため、宮中へむかう董卓の前に、青い衣を着た道士が、白い旗に「口」の字を二つ書いて通りすぎ、横の路に消える。口を二つ重ねると「呂」の字になる。呂布に殺される事を暗示している。

私が測字らしきものに出会った最初である。この奇妙な情景は、強烈な印象を残した。

しかし少年の私は、それよりも関羽・張飛の武勇伝や、諸葛孔明の知謀のほうに夢中になり、特に孔明の駆使する遁甲の術を知りたいと心から、願っていた。後年、遁甲を正式に学ぶ動機となったのである。

この度、佐藤六龍先生が「測字・拆字」の本を書かれると開き、期待していたが、ゲラの段階で拝見して、測字の奥の探さに驚いた。漢字を縦横に駆使しながら、人間の運命を推し量る学識と発想の豊かさに驚嘆したのである。といっても抽象的な事が書かれているわけではない。
実例が豊富で、それが実に面白い。

正直いって、「当たる当たらない」を云々する運命学の本ではない。掌の上でころがすように、自由自在に漢字をあやつりながら、中国四千年の知恵の占を悠々と遊び、逍遥する面白さを満喫できる本である。

フランスの哲学者パスカルは「人間は考える葦である」といった。オランダの歴史家ホイジンガは人間を「ホモ・ルウデンス」つまり「遊戯人間」と呼んだ。西洋の思想家たちの定義に従えば、人間は「考え、そして遊ぶ存在」である事になる。

『測字秘考』は漢字を前にして、考え、そして遊ぶ「人間通」 の占術であると言ってもよい。

測字の魅力にとりつかれそうである。少年の時、三国志を読んで感じたような激しい心臓の動悸はないにしても、老年にさしかかった私は、この本を前に、ゆるやかな心のときめきを覚えるのである。

最後に、古希を越えられて、この大著を書かれた佐藤先生のエネルギーと学識に驚嘆しながら筆をおく。

   平成丙子年九月









はじめに

測字の楽しさを



このたびの著作は、小生の七十年のうちでいちばん「楽しく」書けた作品です。と同時にいちばん「苦しく、手間のかかった」作品です。というのは、日本でこの占術を物した人は一人だけで故人になっています。著作物はこの人の一冊のみで、他にまったくないものなのです。
 
「楽しく」というのは、占術の中でいちばん学問的で気品があり、中国三千年の文化文芸の凝縮されたものを、浅学非才ではありますが、自分で一つ一つひもといた、という点にあるのです。ともかく、中国の歴史、風俗がこの書をものすることにより、これまでの何百倍か、身についたことでしょう。これを「楽しく」書けた、と自負したのです。

「苦しく、手間のかかった」というのは、前述のように、参考書は日本に一冊もありませんし、訊く人も一人もいません。中国の原本も、この測字の書は数が非常に少なく、あっても、占術書とはすこし異なり、文字の解釈ですから理解するのに非常に時間がかかるのです。


本文に述べてありますが、今回小生が用いた中国の測字書は、『字触』という書で、占術書でも易者の著作物でもありません。明代で科挙の試験に合格し、進士として政治家となり、大変に活躍した人で、しかも文学的にも名声を博した大学者の著作物を底本としたのです。そのため、文章は名文ですし、歴史をふまえ故事をふんだんに使っての記述で、日本人としては理解するのに大変に苦労しました。原著者は、「古今ノ書、読マザル所ナク、ヨク文章ヲツヅル」とある、大学者です。

ともかく文章でわからない所がほとんどです。一字一字を辞書により、歴史年表をくり、故事をさぐり、それから占術的な感覚でもう一度ながめなおさなければ、どんな短い文でも、二字の単語でも、解釈がなりたたないのです。

今度のことでわかったのは、風習のちがいと、文章を書く場合の漢字の使い方の複雑さの二点でした。さらに、測字に関係のないことですが、漢字というものの不思議さです。今回、辞典をひもといて、部首と本字の関係の乱雑さにはあきれました。辞典を五冊ひけば五冊とも、本字が入っている部首が同じ字であってもちがうのです。一書はくちへん、一書はきへん、一書はぎょうにんべんにその字があるという、まったく御都合主義の感でした。

もちろん、辞典編者の考えなのでしょうが、小生のような無学な者には、もうひとつ解せない点でした。

さて、こうした苦労がありましたが、これまでの占術とはちがった、中国の文化、風俗とそこに述べられた小説のような奇談には、小生は魅せられ、350枚をものすることできました。

最後にいえば、苦しみがあったから、この面白さが倍になったかと思われます。読者の皆さまにも、この面白さ、楽しさをぜひとも味わっていただきたいと思います。

小生の趣味嗜好から、わざと原文の味を皆さまにもと思い、訳もつけましたが、原文の読み下しをなるべく多く入れました。原文がきらいな方は、解説だけでも十分に、測字の面白さはわかっていただけると思います。


【注】 著作の方法は、まず一字一字を、角川の『新字源』と、支那文を読む為の『漢字典』であたります。次で『大漢和辞典』十二巻をひもとき、最後に中国の大陵版『辞源』二巻と台湾の『辞海』四巻で結論を出すのです。この手順をふまないと、誤った解釈がでてしまうのです。

日本の辞典では、理想の都、中国の辞典では死後の世界。日本では身分のいやしい洗濯女、中国では洗濯女から皇后になるで玉の輿、というように正反対の解釈が出てきますから、日本の辞典は、信用がおけなかったり、文意がたりなかったりするのです。

この外、中国の『人名辞典』や『聨緜字典』をひもとくのです。しかし、本文にも書いてありますが、辞典にない俗語があるのには困りました。しかし、一つ一つやることにより、いろいろの知識を身につけることができたのは、やはり「楽しさ」の魅力にひかれたのでしょう。

なお、占例がだぶっているのが二、三ありますが、これは観点のちがいで章にまたがって入れたものです。乞了承を。

大変に手前ミソの、キザな前がきになりましたが、著者の意をくみとっていただければ幸いです。

                              佐藤六龍


   平成八年五月吉日



















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